「信じて疑わず」なんてのは褒められた話じゃないんだけどね

ぼくがまだ子どもだった頃、自分で言うのもなんだけど

それはそれは素直な性格で…というわけでもなかった…けど

そんでもまぁ、大人の言うコトを疑う…とか、そういうコトはなくて…と言いつつ

ボクは相当に小さい頃から、大人の二面性に気がついてて

それはきっとボクだけではないはず…だと思います

(だって、大人が考えてる以上に、子どもって大人の行動をちゃんと観察してんだよね…)


そんなかわいくない性格のボクでも、TVのニュースで言ってるコト…とか

新聞に載ってるコトまで疑う…なんてことはなくて

(…という以前に、ボクは新聞をほとんど読まんかったのだ…)

子どもの頃は、TVのニュースで言ってることはホントのこと…で

新聞に載ってることもホントのこと…だと思ってたんです


けど…

そんなかわいくない性格のボクが大人になるにつれて、その性格はどんどんかわいくなくなり

(…って、それやったら、いつ、かわいい性格やってん?)

いつのまにか天乃弱太になってしまった…というのは間を抜きすぎで

青年期はそれほど世の中を疑う…という態度ではなかったんです

(…と書いたものの、思えば20代の頃から疑ってたような気がすんねんな…)


…なんてことを書くと、ボクが小さい頃からまったくかわいい性格ではなくて

それが大人になって強化されて天乃弱太になってもうた…というような、

なんだか身も蓋もない話になってまうんだけど、

そんでもまぁ、今よりは世の中を信じてた…ような気はするんです


世の中って言うと漠然としてるので、ちゃんと書くと

それは「日本政府」だったり、「TV」だったり「新聞」だったり…ということで

ボクはそういうものに対する漠然とした信頼を持ってたはず…なんです

(ここで言う「漠然とした信頼」というのは、「いくらなんでもウソはつかんだろ」…という意味です)


ところが、ボクのそういう「漠然とした信頼」がここ10年…と言いたいところだけど

実はもっと前からかなり揺らいできて、

「なんか、世の中ってけっこういい加減なのね」…と感じ始めて

それは「いい加減」というレベルを超えて世の中にはウソが溢れとるな…と気づくに至ったのであります

(世の中のウソには「政府のウソ」や「TV・新聞のウソ」に加えて「大企業のウソ」もあります)


そやかて、政府の言うことはウソばっかり…ですがな

そんでもって、その政府のウソをそのまま垂れ流すTVや新聞もウソつきですがな

さらには、民間の大企業だってウソ(≒誤魔化し)ばっかり…ですがな


そんなコトを連日見せられてもなお、

まだ日本政府の言うことをホントだと受け止める…とか

TVや新聞はホントのことを伝えてくれてる…とか

大企業は誠実に商売してくれてる…なんて考えるのは

よほどのお人好し…だと天の邪鬼なボクは思ってしまうんですが

どうも、日本の市民の政府やメディアへの信頼はそれほどには揺らいでないような気がするんです

(そやかて、内閣支持率がそれほど下がってへんしな…)


しかしながら、市民がTVや新聞をこれほど信頼する…というのは

海外ではあんまりないことのようで…↓


日本並みに政治が腐敗していたり、メディアが権力の言いなりな国は、世界中に他にもあると思うけど、大多数の市民が自国の政府やマスコミの言うことが正しいと信じきっている国はあまりないんじゃないか。最貧国といわれる国に数年住んだけど、誰も権力やメディアの言うことなど信じていなかった

(ひとさまのtweetより)


例えば、韓国を見ても、韓国の市民のメディアに対する不信感は相当に根強いものがあるようです

(それは、前政権退陣要求デモを取材した日本人記者に対して

「韓国のメディアはちゃんと報じてくれないから、日本のメディアで我々の姿を取り上げてほしい」

…というような反応があったことからも推測できます)


ここで、いや、そんなコトない、最近はなんぼなんでも、

政府の言うことをそのまま信じる人はかなり少なくなってるで…

(≒政府の言い分をそのまま報じるメディアを信じる人もかなり少なくなってるで…)

と受け止めている人もいるでしょう


けれども、それはネタ次第…でありまして↓

大本営発表であっても、自分たちが捨て切れない虚栄心(植民地宗主国メンタリティ)を上手に満足させてくれる報道なら、ホイホイと信じてしまうのだろうか。もしくは薄々勘付いていても、見て見ぬフリをしてしまうのだろうか、、

(ひとさまのtweetより)


なぜか、韓国が絡む報道…とか、朝鮮が絡む報道…とか、中国が絡む報道…ってことになると

途端に「日本政府の言うてることは間違いない」となる人が圧倒的…なのは

なんでなのか…と考えると、それはまぁ、

「日本人なら日本政府の味方をして当然」という「人情」もあるんでしょうけど

そういう「人情」はなぜかアメリカが絡む事柄には発揮されないようであるし

ロシアが絡む事柄でもなんだか「人情」の発動はブレーキがかかるみたい…なのは

やはり、アジア諸国を見下してた「昔の日本の態度」が今もまだなくなってなくて

「韓国や朝鮮に対して(だけ)強い態度に出る政府」に胸のすくような気分になってしまってる…

ということが強く影響してるように思うところです

(つまり、政府に(特定の国に対する)「自分たちの優位性」をアピールされると悪い気がしない…を通り越して

 気分がよくなって、そういう政府を信じ応援してしまう…ということですね)


取材してきた相手に謝罪…って、何やってんのよ、日清食品…

これもまた、虚構新聞ネタか…と思ってしまような「あさって対応」なのである…↓

大坂選手の肌の色で謝罪=日清食品、アニメ広告で-米紙
時事 2019年1月23日

 【ニューヨーク時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は22日、ハイチ出身の父と日本人の母を持つ女子テニスの大坂なおみ選手がアニメキャラクターとして登場する日清食品の動画広告をめぐり、大坂選手の肌の色が実際よりも白く描かれているとの批判が日本で起きていると報じた。

 同紙の取材に対し、日清食品は「配慮が不十分だった」と電子メールで謝罪したという。

 同紙が取り上げたのは「カップヌードル」のアニメ広告。人気漫画「テニスの王子様」の作者、許斐剛さんがキャラクターデザインを手掛け、大坂選手と共に日清食品に所属する男子テニスの錦織圭選手も登場している。

ちなみに、この会社のCMアニメでは、大坂なおみ選手をこのように描いていたのであります↓

1
(右側が大坂なおみ選手…で左側が錦織選手です)

2
(ここでは、左側が大坂なおみ選手です)


ニューヨークタイムズ電子版は、この出来事について
「大坂選手の肌の色が実際よりも白く描かれているとの批判が日本で起きている」という客観的事実だけを報じて
この出来事に対するニューヨークタイムズ社として批判を載せてない模様…なんだけども
同紙の取材に対して「配慮が不十分だった」と電子メールで謝罪…というのは
謝罪の対象を思いっきり間違ってるんやないですか
(そやかて、これは仮にニューヨークタイムズが批判してた…としても
 ニューヨークタイムズ社に謝罪…というのはおかしいですがな…)

日本で批判がある…けど、ニューヨークタイムズ社に謝罪…
それは思いっきりの「あさって対応」(=あさっての方向を向いた誤った対応)であるし
いったい「誰に対する配慮が不十分」だったというのかも、まったくわからんのです
…と言いつつ、それ以前にもっとわからんのが
「配慮が不十分でこないなってもうた」という言い訳…でありまして
これって、「大坂選手の肌の色を(できるだけ)そのまま描く」のが配慮…ってことなんですか…
(…と書いたものの、そんな理屈はまったく理解でけん…)

わからん…
日清食品の言うてることややってることはまったくわからん…

で、このCM(の大坂なおみ選手の描き方)はこのまんま…なんですか
(そこんとこ、はっきりさせましょうよ、日清さん…)

批判は一切許しません

次回の米アカデミー賞の外国語映画賞に日本の映画『万引き家族』がノミネートされたそうです
これは、とにかく「アメリカに認めてもらいたい」という願望をもつ人たちには朗報…だと思うんですが
なんだか、そうでもないようです…↓

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ボクは最初、この人が何を言ってんのかよくわからんかったんだけども
何度も読んでるうちにぼんやりわかってきた…
この人、『万引き家族』が日本を悪く描いてるからわたしゃ面白ないぞ!…と言うてはるんですね

う~ん、この人のような右翼というのは、親米愛国だから
とにかくなんでも「アメリカに認めてもらうとうれしい」という心情をもってると思ってたら
そうでもなかったようで、彼らの心情たるや、ホントに複雑怪奇…

それにしても…
映画というフィクションのなかで、日本の貧困を題材にして
未就学児童を登場させると、途端に「日本を悪く描いてる」となる…のは
なんというか、その…(なんでそないな反応になんのか、真剣にわからん…)

…と思ったんだけども、ウヨくんたちのあたまの中はとにかく

「日本ヨイ国、強イ国
 世界ニカガヤク エライ国」(敗戦前の国民学校国定教科書)

…で止まってるんでありましょう
(だから、日本に対する批判(の視点)は許せん…ということなんでしょうね)

しかしながら、そういう態度は「自分たちの心情・心証がすべて(の事実)」という、
何とも非合理的な思考に繋がるのでありまして…と書いてはみたものの
昨今の「韓国の艦艇から自衛隊機が火器管制レーダー照射を受けた」と防衛省が発表してる件に対する、
日本社会の反応を見てると、それはウヨくんだけ…という話でもないようなので
困ったちゃん…なのであります

維新警報発令…

ひとさまのtweetを拝借して、今年初めての維新警報を発令します…↓

長谷川豊さんは「全国比例区」から立候補されます。
「維新」に票を投じれば、こんなひどいことを言ってきた長谷川豊さんが通ってしまいますよ。
こんな人に血税が注ぎ込まれてもいいのでしょうか?

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維新は前回衆院選挙に続いて、次期参院選挙全国区にこのトンデモ候補を立てるそうです
(いくら関東地方で浸透してないからって、ここまでするか…)

前回衆院選では、出馬した千葉一区で最下位落選おまけに供託金没収…という華々しい結果が出て
千葉一区の有権者の見識(…というか良心)が示されたところでございますが
今度は全国区…ということですので、前回の千葉一区同様に、
全国の有権者の皆様の見識(…というか良心)を示して頂きたいと強くお願い申し上げます

国から褒められるとロクなことがない(国家による「褒め殺し」)

あの戦争での日本軍の死者の半分以上が「餓死・戦病死」だったことが
ようやく日本社会で明らかにされつつあります
(と言っても、それはまだ日本社会の共有事実になったとは言えず
 多分、今もって、ほとんどの人は「日本兵のほとんどは戦闘で死んだ」と思ってるはずです)

死亡した兵隊の半数以上が「戦闘で死んだ」のではなくて
「病気」で死んだり「餓死」したりした…というのは
およそ、世界史上でも稀なのではないかと思うところですが
そんな稀なことが起きたのは、「戦争の狂気」なるもののせい…でもなく
端的に「戦争を起こした者」のせい…であり
「負けるとわかってるのに戦いを続けさせた者」や
「戦えないとわかってるのに戦わせた者」のせいでもあります
(この場合の「戦えない」というのは、戦闘以前に、食料がない…などの
 基礎的物理的要因のために「戦えない」ということです)

日本では、あの戦争の戦死者をして「国を護るために戦った」…とか
「その犠牲があって今の繁栄がある」(≒アナタたちが死んだおかげでその後繁栄できた)
…なる言説が今もって広く受け入れられているところですが
これは要するに、国が「戦死者を褒めてる」ということになってるんですね

この点、人は(…というか、死んだ人の遺族は)、
褒められると(なんだか悪い気がしなくて)怒れなくなる…ので
これは戦死者遺族が国に怒りを向けることを巧妙に避ける「褒め殺し」と言える欺瞞…なんですが
敗戦後の日本では、この「褒め殺し」と「軍人恩給」という経済的アメによって
多くの戦死者遺族が「(名誉ある)英霊の遺族」として黙ってる…という社会状況ができあがってしまって
それが現在まで続いてるところです

そしてそれは、戦死者遺族だけ…というわけでもなく
幸運にも生きて帰ってきた元兵隊さんたちのなかでも
自分たちがしてきた(…というか、やらされてきた)ことは悪いことじゃないんだ、
それは「国を護ること」であり、さらには「アジアの植民地を解放するため」ためだったんだ…
と思うことで、戦争中にしていたことへの罪悪感を軽減しつつ、
戦争中の(不都合な)行為を語らない…という選択をする人がほとんど…でした
(それは、戦争中の(酷い)行為を正直に話し、反省する人に対する様々な脅し圧力があった…
 ということも無視できない要因です)

けれども、そういう脅しや圧力に屈せず、
あの戦争の本質をそのまま語り続けてくれたありがたい人もいたのです…↓


元日本海軍兵・瀧本さん逝く 愚かな戦争語り続け

朝日新聞大阪版 2019年1月22日

 戦争の愚かさを子どもたちに語り続けた元日本海軍兵の瀧本邦慶(たきもとくによし)さん=大阪市東淀川区=が昨年12月28日午前6時8分、入院していた吹田市の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。97歳だった。

 香川県出身。1939(昭和14)年に17歳で佐世保海兵団へ志願し、太平洋戦争の始まりとなる41年12月の真珠湾攻撃や、戦局の転換点ともいわれる42年6月のミッドウェー海戦に送られた。「餓死の5分前」まで追いつめられたトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で敗戦を知った。

 戦後は大阪市で不動産業などを営み、2008年から語り部に。ときに軽妙な語りが評判となって府内の学校を積極的に回った。

 17年7月に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、リハビリを重ねて18年3月に講演を再開していた。同年11月28日に再び発症。家族によると、驚異的に持ちなおして1カ月後にはリハビリのため転院する予定だった。瀧本さんは生前に献体登録をしていたため、遺体は大学病院へ送られた。

 遺言に従い遺族は死去を伏せていたが、講演依頼が今も寄せられるため公表することにしたという。「葬儀などについては遺骨が帰ってきてから考えようと思います。それまでは連絡や心遣いは遠慮させてください」と話している。

若者への言葉 拝みの響き

 戦争そのものへよりも、戦争を起こす者への怒りが大きかった。息子や夫の戦死を言祝(ことほ)ぐように強いた者に、みじめに餓死していった戦友を英霊とうそぶく者に対して、真っすぐに怒っていた「安全地帯」から戦争をあおった政治家や官僚、軍の上層部を生涯、許さなかった

 死線を幾度も越えてきた「生かされている者の責任」として始めた語り部活動を、瀧本さんがやめると言い出したのは2016年8月のことだった。

 「講演活動を続けても何も変わらない」「時代はますます悪い方向へ向かっています」。親しいジャーナリストの矢野宏さん(59)に、そう吐き出した。直前の参院選で改憲勢力が大勝したことに落胆したのだ。

 それまでも、13年の特定秘密保護法、14年の集団的自衛権行使容認の閣議決定、15年の安保関連法と続いていた。これらに戦争の「腐臭」を嗅ぎとっていらだちを深め、17年の「共謀罪」法制定で、「くるところまできたんですわ」と極まった

 自分のような下っ端の兵隊なんぞ軍隊と戦場にあっては消耗品か取り換え可能な備品。虫けらのように殺されて当たり前――。そう繰り返し語ってきたのに、国民は分かってくれないと焦りを募らせていた。

 中止宣言を撤回したのは若者への思いだった。宣言後も寄せられる講演依頼をどうしますかと聞くと、小学生から届けられた感想文に目を通しつつ、「……たぶん、行くと思いますわ」と答えた。「選挙の結果を見て分かりました。もう大人は信用ならん。これからは若者の命を守る一本でいきます」。それからは再び、講演の日時と場所をカレンダーにうれしそうに書きこんでいた。

 天皇陛下のために死ぬ。お国のために死ぬ。死ねば神として靖国神社にまつられる。これこそ男子最高の名誉――。戦前の日本を覆った風潮を素朴に信じた瀧本さんは、徴兵検査を待たず、17歳で佐世保海兵団を志した。23歳までの青春時代を戦争に捧げた。

 なれの果てが南洋の小島での飢餓だった。周りが骨と皮になって死んでいく。弔うこともかなわない。薄らいでゆく意識の中で、「ここで野垂れ死んでヤシの木の肥やしになることのどこが国のためなのか」と考えた。国にだまされたのだと気づいた

 あの戦争への郷愁の一切を、瀧本さんは鉄の意志で拒んだ。おかみの言うことを疑わなかったのは愚かだったと自らを裁いた。

 若者よ、私のようにはだまされないでくれ。「国を守る」などという耳に心地よい言葉に惑わされないでくれ。若者を戦争で殺す。その戦争でもうける。それが戦争なんだ。そんな戦争なんかに行くな。頼むから命を大切にしてくれ

 若者に語りかける瀧本さんの言葉は、拝みの響きさえ帯びていた。

 ある日、瀧本さんが仏壇から両親の写真を持ってきて、ずっと眺めていたことがあった。「おかはんは特別の特別ですねん。私は死んだら、おかはんのところに行きます」。100歳まで語り部を続ける夢はかなわなかったが、母アキノさん、戦後の苦楽をともにして先に逝った妻節子さんとの再会を楽しんでいると私は信じる。

「老人が戦争を始め、若者が死ぬ」…とはよく言われることですが
なぜそうなるのか…と考えて見ると、それは「戦争を始めた者は戦争に行かない」からです
(逆に言うと、「自分は戦争に行かなくていいと思ってるから戦争を始めてもいいかな…」と考えるんです)

そして、そういう「戦争になっても自分に危険は及ばない」という「安心感100%の無責任思考」は
「自分さえ安全だったらその他のことは考えない」という超利己的な思考に繋がって
自軍の兵隊がどうなっても構わない…という前提での無謀な作戦?を繰り返すことになり
それが「戦病死」「餓死」が半数以上…という、世界史上類を見ない結果となったのであります

「戦争が悪い」…それはその通りではあるんですが
戦争は自然災害でもなんでもなく、人が始めること…だから
「戦争が悪い」んじゃない、「戦争を始めた者が悪い」…
「戦争が憎い」んじゃない、「戦争を始めた者が憎い」…
ということになるのに、そうならないために「戦死者を褒め称える」のが
戦争中も敗戦後も変わらぬ靖国神社の役割であり
その欺瞞を今でも続けて戦死者やその遺族を「褒め殺し」してるのが
自民党をはじめとする保守右翼…で
なんで彼らがそんなことをしてんのか…と言えば
あの戦争を始めた者の後継者だから…です

だから、自民党をはじめとする保守右翼があの戦争を反省するわけない…のでありまして
そのような政治勢力が敗戦後ほとんど一貫して政権の座にある…というのは
日本の悲劇…だとボクはずっと感じているところですが
それは、あの戦争で大きな被害を被ったアジアの国々にとっても大変迷惑な話でありまして
このような国が周辺諸国とうまくいかない…のは当たり前だのクラッカーと言うべきでありましょう


※このエントリーは以下のブログ記事に触発されて書いたものです…↓
(…というか、「元ネタ」というてもいいですわ)


上記記事には、ある芸術家の作品が紹介されておりまして
その作品のなかに「国会議事堂」の模型があるんです…↓

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ボクはこの作品を見て、ここは国会議事堂ではなくて「皇居」の模型にしてほしかった…と感じたんですが
もし、皇居にしたならば、作者が殺されかねない…のが日本社会(における右翼)の現状…なので
そこまで望むのは酷かな…と思うところです

とは言うものの、それはこの作品を見たボクがそう考えただけのことで
あまた死んでいった(…というか、戦争遂行勢力に殺されたと言っていい)兵隊さんが
現在の国会での「反省なき先祖帰り」を見ていたら
黙ってられないだろう…という解釈もできるので
この作者が「ひるんだ」ということではない…と受け止めております
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